アントニオ猪木さんは、4回の結婚歴があります。
女優の倍賞美津子さんと結婚していたことは有名ですが、他の歴代のお嫁さんや、その間に産まれた子供はどんな人物なのでしょうか?
また、最近ではアントニオ猪木さんが自身と妻のために建てたお墓の存在も報じられています。
この記事では、アントニオ猪木さんの4人のお嫁さん、そして子供やお墓に関する情報をお届けしていきます。
アントニオ猪木の結婚歴・歴代嫁は4人!
アントニオ猪木さんは4度の結婚歴があります。
これまでの歴代のお嫁さんはこちらです▼
- リンダ(アメリカ人)
- 倍賞美津子(女優)
- 戸倉尚美(一般人)
- 橋本田鶴子(専属カメラマン)
4人目のお嫁さん、田鶴子さんとは2019年に死別しているため、現在は独身となっています。
ここからは、4人の妻の画像や離婚理由などを紹介させていただきます。
アントニオ猪木の歴代嫁①リンダ
1人目の嫁は、アメリカ人のリンダさんです。
アントニオ猪木さんは21歳の頃からアメリカに武者修行に行っていました。
そして1964年、23歳の頃にアメリカ人のリンダさんという女性と結婚されました。
結婚してまもなく、2人の間には文子ちゃんという女の子が産まれました。
その後、アントニオ猪木さんは1966年にリンダさんと文子ちゃんとともに日本に帰国し、3人での生活が始まりました。
1人目の嫁・リンダとの離婚理由
リンダさんとの離婚理由は、アントニオ猪木さんの不倫です。
娘の文子ちゃんが5歳になる頃、アントニオ猪木さんの不倫が発覚。
離婚することとなり、文子ちゃんはリンダさんが引き取る形となりました。
しかし、文子ちゃんは8歳の頃に小児癌で死去。
アントニオ猪木さんは、父親らしいことをしてやれなかったと後悔されていたとのことです。
その後リンダさんも亡くなったという説もありますが、詳細は不明です。
アントニオ猪木の歴代嫁②倍賞美津子
2人目の嫁は、女優の倍賞美津子さんです。
1976年に、アントニオ猪木さんの名付け親で親しくしていたプロレスラー・豊登道春さんの紹介により出会った2人。5年近くの年月をかけて交際に発展しました。
結婚式は、1971年11月2日に京王プラザホテルで招待客1,300人、約1億円という大きな規模で行われ、大きな話題となりました。
1億円結婚式は、日本プロレスが宣伝目的で全額を負担する予定となっていました。
この時期のアントニオ猪木さんは、放漫経営の続いていた会社を内部改革しようと動いていました。
この動きが発覚した際に、アントニオ猪木さんは「会社乗っ取りを企んだ」という汚名を着せられることとなり、結婚式から1ヶ月半後に日本プロレスを追放処分にされてしまったのです。
当然結婚式費用の負担の話も無しになり、猪木さんは1億円の借金を抱えることとなってしまいました。
借金返済のため、アントニオ猪木さんは新居となる自宅を改造して「新日本プロレス」を立ち上げました。
いきなり夫が大きな借金を抱えることとなった倍賞美津子さんでしたが、当時アントニオ猪木さんに向けてこんな言葉をかけたそうです。
「あんたはおっちょこちょいね。式の費用を払ってもらってから会社と喧嘩すれば良かったのに。」
「よ~し、いいじゃない。あんた一人ぐらい私が食べさせてあげる。男は思い切りが肝心よ、私たちの力でやりましょう。」
精神面でも夫を支えた倍賞美津子さんの存在は、プロレスファンの間でも有名です。
アントニオ猪木さんは、離婚後も「新日本プロレス最大の功労者は倍賞美津子」と話しています。
2人目の嫁・倍賞美津子との離婚理由
2人目の嫁・倍賞美津子さんとの離婚理由は金銭問題と言われています。
プロレス業界が黄金期を迎えていた頃、アントニオ猪木さんは副業としてサトウキビの搾りかすを使ったリサイクル事業(アントン・ハイセル事業)に手を出しました。
元々倍賞美津子さんのママ友から紹介された事業でしたが、アントニオ猪木さんがやる気を出し、のめりこんでいきました。
しかし、ブラジルの狂乱インフレにより事業は大失敗。数十億円の借金を抱えることとなりました。
また、アントニオ猪木さんの親族が倍賞美津子さんが個人的に貯めていた預金に勝手に手をつけたり、1985年には倍賞美津子さんと萩原健一さんの不倫疑惑がキス写真付きで報じられたりと、夫婦の問題は増えていく一方となりました。
1987年、倍賞美津子さんが「一緒にいることはもうお互いの為にならない」と離婚を切り出し、1988年に離婚が成立しました。
多くの問題があったものの、離婚後も交流があったというアントニオ猪木さんと賠償美津子さん。
猪木さんは倍賞美津子さんを「魂の友人」と呼び、賠償美津子さんは猪木さんを「アントンは戦友」と語っています。
離婚から14年が経った2002年には、新日本プロレス創立30周年記念に東京ドームで行われた記念興行でのリング上でセレモニーに、倍賞美津子さんがサプライズ・ゲストで登場。
離婚後も戦友として結ばれている、2人の絆がよく分かるエピソードですね。
アントニオ猪木の歴代嫁③戸倉尚美
3人目の嫁は、一般人の戸倉尚美さんです。
結婚生活は23年と、アントニオ猪木さんの4人の妻の中で一番長い夫婦生活を送っていたお相手です。
戸倉尚美さんは、父親は元築地魚市場の幹部という代官山のお嬢様ですが、アントニオ猪木さんと結婚する前はコンパニオン会社でOLとして働いていたとのこと。
年齢は猪木さんの22歳年下で、結婚当時24歳。当時は珍しい年の差婚で大きな話題となりました。
飛行機で隣の席に座ったことがきっかけで交際がスタートしました。
結婚したのは、アントニオ猪木さんが倍賞美津子さんと離婚した翌年の1989年6月12日。猪木さんが参議院議員選挙に出馬して政界入りした頃でした。
結婚した時には戸倉尚美さんは妊娠していた、いわゆるできちゃった婚。翌年の1990年3月1日に男の子が産まれています。
その後、アメリカに拠点を移して生活していた猪木夫妻でしたが、2012年11月に離婚されています。
3人目の嫁・戸倉尚美との離婚理由
3人目の嫁・戸倉尚美さんとの離婚理由はアントニオ猪木さんの不倫と言われています。
プレイボーイのアントニオ猪木さんは、2011年にカメラマンの女性との不倫が報じられています。
アントニオ猪木さんの年齢は当時67歳、相手女性は15歳年下の52歳。
4人目の妻である橋本田鶴子さんと情報が一致しているため、不倫相手は田鶴子さんだったのではないかと見られています。
不倫報道の翌年の2012年11月、アントニオ猪木さんは戸倉尚美さんと離婚されました。
アントニオ猪木の歴代嫁④橋本田鶴子
4人目の嫁は、カメラマンの橋本田鶴子さんです。
大学で写真を学び、大学卒業後は民放テレビ局の関連会社でカメラマンとして活動していた橋本田鶴子さん。
元々猪木さんのファンだったそうで、1990年代後半から猪木さんのプロレスの写真を撮り始め、5年に渡る密着撮影の末、2001年に写真集「人生のHomeLess―アントニオ猪木写真集」を出版したことがきっかけで“アントニオ猪木専属カメラマン”になりました。
専属カメラマンを務めていた橋本田鶴子さんは、やがて猪木さんが会長を務めるプロレス団体「IGF」の役員も務め、さらには2011~2013年には、猪木さんの公設秘書も務めていました。
2013年に猪木さんが18年ぶりに国政に復帰した際には、田鶴子さんも議員会館に出入りし、北朝鮮訪問などにも同行。
猪木さんの肖像権などを管理するマネジメント会社「コーラルゼット」の副社長も務め、2人は公認の仲となっていきました。
2014年には、週刊誌「女性自身」にて都内のマンションで半同棲生活を送っていると報じられましたが、このとき猪木さんは田鶴子さんとの再婚を否定。
しかし、気が変わったのか2017年2月20日、アントニオ猪木さんの74歳の誕生日に4度目の結婚をされました。
いちファンから最期の妻の座にまでたどり着いた、田鶴子さんの粘り勝ちといったところでしょうか。
4人目の嫁・橋本田鶴子との離婚理由
4人目の嫁・橋本田鶴子さんとの離婚理由は死別です。
橋本田鶴子さんは、結婚から2年後の2019年8月27日に亡くなっています。
死因は膵頭がんで、闘病期間は6年だったそう。
結婚前から闘病をしていたとのことですが、田鶴子さんは病気のことを誰にも明かしていませんでした。
夫であるアントニオ猪木さんも、亡くなった後に診断書を見て初めて病名を知ったとのことです。
アントニオ猪木の子供は何人?
アントニオ猪木さんには、子供が3人います。
- 1人目:娘・文子ちゃん(母親:リンダ)
- 2人目:娘・寛子ちゃん(母親:倍賞美津子)
- 3人目:息子・一成くん(母親:戸倉尚美)
娘2人・息子1人で、それぞれ母親が違います。
先述にもあるとおり、文子ちゃんは8歳の頃に亡くなっています。
倍賞美津子さんとの間に産まれた猪木寛子さんは、初代アニー役を務めたことでも知られています。
アントニオ猪木の嫁のお墓がスゴイ?
アントニオ猪木さんは、4人目の嫁・橋本田鶴子さんが2019年8月に亡くなった際にアントニオ猪木家のお墓を建立しています。
お墓が建てられた場所は、青森・十和田市の蔦温泉。
猪木夫妻が長年頻繁に訪れていた蔦温泉旅館から徒歩5分程度の場所にあり、田鶴子さんが八甲田山周辺の景色が大好きだったため、この場所にアントニオ猪木家の墓を建てることを決断したそうです。
引用:ENCOUNT
お墓の高さはコンクリートを合わせると、アントニオ猪木さんの現役時代の身長と同じ190センチ。
墓石には「1、2、3、ダーッ!」をモチーフに、右腕を突き上げた猪木さんの姿がかたどられています。
引用:ENCOUNT
中央には大きく「道」、そして「アントニオ猪木家」の文字が入っています。
下部には、猪木さんが過去にデザインしたユーモアあふれる「猪」と「木」の絵、妻・田鶴子さんが愛用していた手鏡、側面には猪木氏の「道」の詩の彫刻が刻まれています。
夫婦の思い出と愛がたくさん詰まったお墓ですね。