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大沢樹生の光GENJI時代や映画監督時の波乱万丈と近況を紹介!!

大沢樹生さんは前妻喜多嶋舞さんの息子、先天性腹壁破裂(腸がお腹の上に飛び出したまま産まれる)と感音性難聴を患う零次さんとはシングルファザーになった後も向き合ったそうです。

そのような中、実の子ではないと判明し世間を賑わせました。

今回は、改めて大沢樹生さんのプロフィールと経歴、近況を紹介します。

大沢樹生のプロフィールと経歴

プロフィール
  • 名前:大沢樹生(おおさわ みきお)
  • 生年月日:1969年4月20日
  • 出身地:東京都
  • 元所属グループ:光GENJI
  • 職業:俳優、歌手
  • SNS:XInstagramYouTube
  • 公式サイト:https://mikio.co.jp/
経歴
  • 1982年:ジャニーズ事務所へ入所
  • 1987年:光GENJIのメンバーとしてレコードレビュー
  • 1994年:光GENJIを脱退・事務所を退所
  • 1996年6月〜2005年5月:喜多嶋舞さんと結婚するも離婚
  • 2006年:自社を創設
  • 2008年:一般女性と再婚
  • 2013年:DNA鑑定の結果、喜多嶋舞さんとの間に産まれた息子と父性確率0%と発覚し話題に
  • 2015年:映画「鷲と鷹」で諸星和己とW主演・監督を務める
  • 2016年:公開映画「THE ACTOR-ジ・アクター-」で監督を務める
  • 2022年11月東京北区区長選挙への出馬・2023年4月5日不出馬を表明
  • 2023年12月2日、22日にライブを開催
  • 2024年1月1日〜3月3日までInstagramの投稿が途絶える

2024年5月前後、無造作なヘアスタイルがスタイリッシュな大沢樹生さんですが、本人曰くカットの時間がなく伸ばしっぱなしなだけと話します。

どこまで長くなるか、挑戦中なのだそうです。

【大沢樹生】光GENJIでデビュー

現在大沢樹生さんにつくマネージャーは、ジャニーズ事務所に入所した12歳から知る顔なじみの存在だといいます。

そして現在の事務所を作る際に声をかけ、一緒に歩んでくれているとか。

https://twitter.com/fuchu_keyakikko/status/1512065767688519680

大沢樹生さんは13歳の時グループ名「イーグルス」で1、2年活動しましたが、自然に解散したそうです。

その後先輩のバックダンサーに戻り、挫折を感じたといいます。

ドラマや映画出演も単発で、手応えを感じなかったそうです。

17歳の大沢樹生さんがジャニーズ事務所をやめる電話をした際、折り返しの連絡で光GENJIへのメンバー入りを持ちかけられたといいます。

最後のチャンスと決意し入ったのが、分岐点だそうです。

曲「STAR LIGHT」でのデビュー直前、全国でキャンペーンが組まれ何万人と集まる想定で用意された広い会場に来てくれたのは数百人。

諦めムードも漂ったといいます。

しかし、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」に出演後週末に大阪のキャンペーンへ行くと何万人ものファンが集まったそうです。

テレビの影響力を痛感したといいます。

光GENJIは、次のスケジュールで動き当時の記憶が全くないほど多忙を極めました。

  • 1日に何本も仕事
  • 終了後夜中から新曲の振付練習
  • コンサートのリハーサル

ローラースケートによるパフォーマンスが有名ですが、よくステージから落ちたそうです。

しかし骨折しても出演するメンバーがおり、打撲や捻挫は怪我と捉えなかったといいます。

代役もおらず頑張ったそうです。

令和の時代ではブラックな環境だが、当時は当たり前で誰も反論しなかったといいます。

しかしこの経験があったからこそ、現在の年齢になってもパワフルに動けると大沢樹生さんは捉えていました。

睡眠時間を削ってでも光GENJIの活動に熱中できたのは、ステージに立つライブの楽しさ・数万人分の歓声が嬉しく気持ちよかったからだそうです。

一方でファンに各々推しがいる中、目当てのメンバー以外が目の前に来た場合全く見向きもされず、寂しかったこともあったといいます。

【大沢樹生】ジャニーズ事務所退所後の動き

ジャニーズ事務所退所後全く仕事がない時期もあったが、頂いたオファーは引き受け全力で取り組み、評価され次に繋げるようにと考えていたそうです。

一世風靡した光GENJIの活動からの落差もあったといいます。 

しかし、自ら決断して選んだ道のためしょうがないと思ったそうです。 

家族や長年の付き合いのスタッフなどが支えてくれて、感謝しているといいます。

大沢樹生の今だから話せる!自作映画監督時のエピソード

2016年公開映画「THE ACTOR-ジ・アクター-」で監督を務めた際クランクイン2日前に出資者の援助が期待できないことが判明し、苦労したといいます。

ずっと約束していた期日に振り込まれず、最終的に電話で不可と告げられたそうです。

大沢樹生さんを潰そうとしたのではないかと振り返ります。

しかし、契約書を交わさず話を進めたことやお金をもらう前に動き出した点を反省していました。

スタッフも準備に取り掛かり、役者も決まった状況で投げ出せなかったといいます。

予算を当初の⅓に大幅ダウンし、経費削減・ロケ地も少なくしたそうです。

会社スタッフと大沢樹生さんが、お金を工面したといいます。

編集作業や公開までにやるべきことが多く、元出資予定者のことを考えてもしょうがない境地に至ったそうです。

大沢樹生、東京北区区長選挙への出馬・不出馬時の心境

選挙について1度出馬を表明し取り下げた件で、自分の居場所を見失い家での静養を決意したといいます。

不安から悪い方向へ感じがちだったため、休むことが大事と考えたのだそうです。

家族や事務所スタッフへ事後報告となり、振り回した点を申し訳なく思ったといいます。

政治の世界はある意味怖く、緊張感があったそうです。

地方からのオファーはあり、頂いた仕事をやりきろうと奮闘したといいます。

大沢樹生がライブで芸能活動再始動

芸能界活動の表明として2023年末にライブを開催したものの、精神状態は悪化したといいます。

本当にできるのかと考えて辛く、舞台に立てば楽しくやりきったが終了後反動が来たそうです。

ファンから政界に挑戦した理由も聞かれ、キャリアに傷がついたかもしれないと不安になったといいます。

大沢樹生のSNS更新が途絶える

体調を崩し自宅で静養したが長引いたため、2024年1月1日を境に3月3日までSNSの更新が途絶えました。

体が動かずマイナスなことばかり考えていたため、家族の雰囲気も暗くし心配や迷惑をかけたと振り返ります。

通院もしたが、1人でずっとベッドにいればおかしくなると思い朝7時に起床してウォーキングやストレッチをしたそうです。

休養中、余計な情報を入れないようにテレビやSNSを控えたといいます。

悪いことがよぎれば頭を振り、消すようにしたそうです。

今まで自分自身をおざなりにしていたが、自らのケアが大事と気づき意識し回復したといいます。

諦めたら終わるので、あとは上に這い上がるだけとの考えだそうです。

大沢樹生についていろいろ

大沢樹生さんについて、他様々なことを紹介します。

大沢樹生の考え方

仕事をする上で信頼関係は大事だが大沢樹生さんは疑いとのバランスを考えたり、計算したりしたことはないそうです。

裏切られても、裏切る側にはなりたくないといいます。

とにかく、前に進む精神だそうです。

先輩と後輩について

田原俊彦さんや少年隊のバックダンサーにつき、多くを学べ感謝しているそうです。

特に、少年隊が洗練されていたといいます。

光GENJI時代、SMAPとTOKIOの後輩がバックについたそうです。

SMAPはなかなか売れず、苦労していると感じたといいます。 

TOKIOとはよく食事しており、かわいい後輩だそうです。

墓場まで持っていく話 

暴露や告発の風潮に触れながら、墓場まで持っていくつもりの話せない話が数個あると述べています。

しかし、当時は辛かったが遺恨はなく前に進むしかないと思ったそうです。

ジャニーズ事務所で学んだこと

旧ジャニーズ問題で懸念されているが、自分を育ててくれた点は揺るぎない事実で感謝しているといいます。

精神面と肉体面で鍛えられたため、逆境があっても諦めないマインドになれるそうです。