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大谷翔平の父親・大谷徹の身長や年齢は?職業は元社会人野球選手で現在は監督業も!

大谷翔平の父親の大谷徹の顔画像

歴代日本人野球選手でも最高レベルとの呼び声高い、大谷翔平選手。

一流のスポーツ選手となると、どんなご両親から育ったのかを知りたい方も多いかと思います。

また、日本人でも珍しい高身長でスポーツに恵まれた体を持っていることから、ご両親の身長も気になるところですね。

大谷翔平選手の父親は大谷徹さんという方なのですが、実は元社会人野球選手で長年コーチとしての経験もある方です。

今回は、大谷翔平選手の父親について、

  • 身長や年齢などのプロフィール情報
  • 学歴や経歴
  • 選手・コーチとしての野球経験

などの情報を簡潔にわかりやすくまとめてお届けしていきます。

大谷翔平の父親・大谷徹の身長や年齢は?wikiプロフィール紹介

大谷翔平の父親の大谷徹の顔画像引用:スポニチ

  • 名前:大谷徹(おおたに とおる)
  • 出身地:岩手県北上市和賀町
  • 生年月日:1962年?月?日
  • 身長/体重:182cm/?kg

2人兄妹の長男として生まれ、岩手県北上市和賀町で育った大谷徹さん。

大谷翔平さんの身長は193cmですが、お父さんも高身長でした。

1986年の冬に現在の妻・加代子さんと結婚し、

  • 1988年3月20日:長男・龍太
  • 1992年:長女・結香
  • 1994年7月5日:次男・翔平

と、3人の子供が生まれています。

大谷翔平の父親・大谷徹の学歴&経歴まとめ

大谷徹の出身校は?

大谷徹さんの出身校について現在わかっている情報がこちら。

  • 出身小学校:?
  • 出身中学校:?
  • 出身高校:岩手県立黒沢尻工業高等学校
  • 出身大学:進学なし

一般人ということで出身校はほとんど明かしていません。

ただ、部活についてのエピソードなどは各所で語られていました。

中学時代は坊主頭になるのが嫌で陸上部へ入部された大谷徹さん。

2年生の時に三種競技A(100m走、砲丸投げ、走り高跳び)で県大会入賞の実績を残しました。

しかし、1位になれなかったことや個人の優劣がつくことが嫌で2年生の途中で野球部に転部

エース兼4番打者として活躍し、大谷翔平選手の出身校である花巻東高校や盛岡大附属高校など数々の強豪校からスカウトを受けました。

高校は甲子園を目指してスカウトを受けた黒沢尻工業高校へ進学しましたが、投手や内野手としては通用せず1年生で外野手に転向。その後レギュラーを任され打者としては1、3、5番などクリーンナップを任されました。

甲子園については3年間初戦敗退で出場することはできませんでした。

しかし、野球の実力を買われて大谷徹さんの元には社会人野球のスカウトが舞い込んできました。

夏のセンバツの初戦敗退のショックから当初は内定を断っていましたが、秋頃には「野球をやりたい」という気持ちが芽生え、一度断った内定を再度勝ち取りました。

地元の岩手県を離れて1人神奈川県へ移ることとなりました。

大谷徹の経歴は?

高校卒業後、社会人野球のスカウトを受けて三菱重工横浜のグループ企業へ就職し、故郷の岩手県を離れた大谷徹さん。

午前中はサラリーマンとして働き、午後から野球漬けの毎日を送っていました。

そして社会人2年目を迎えた頃、加代子さんが同社に入社。社内の飲み会で出会った2人は意気投合し、お付き合いすることになりました。

公私共に順調と見られましたが、社会人6年目を迎えた頃に監督から戦力外通告を受けました。

実際はやる気を出させるつもりの声かけだったようですが、大谷徹さんは引退勧告と受け取りそのまま退部を選択。

24歳の夏に野球部を引退し、同じ年の12月に加代子さんと入籍をされました。

その後は正社員としてシステム関連の部署へ異動となり、SEの仕事を4年間続けました。

28歳に退職すると、加代子さんの母親が見つけてきた地元岩手県に自社工場を持つ自動車のボディーメーカーである関東自動車工業株式会社(のちのトヨタ自動車東日本株式会社)へ就職。

工場でハードな働くハードな毎日を送り、転職して4年が経過した頃に一家は岩手県奥州市水沢に引っ越すこととなりました。(大谷翔平選手が産まれる前のことです)

大谷翔平の父親・大谷徹の現在の職業は?

長年自動車ボディーメーカーに勤務されていた大谷徹さんでしたが、2016年末に退社されています。

退社理由は、大谷翔平選手のサポート体制の充実、そして少年野球チームの監督業へ専念するためとされています。

大谷徹さんは、長男の龍太さんが野球を始めたときには仕事が忙しく、ほとんど協力できなかったことが心残りだったこともあり、次男である大谷翔平選手が野球を始めた際には熱心に指導することを決意されたそう。

大谷翔平選手が小学2年生から「水沢リトル」に入ると、チームのコーチを買って出るようになり、のちに監督も務めました。

中学進学後に「一関リトルシニア」に移ると徹さんも同チームのコーチを務めましたので、息子を計7年間指導したことになります。

大谷翔平選手が卒団した現在も少年野球指導は継続しており、2014年に有志とともに立ち上げた「金ケ崎リトルシニア」で監督を務めています。