日本初の女性総理大臣の座を狙う、高市早苗さん。
日本の国会には世襲議員が多いイメージですが、高市早苗さんはどうなのでしょうか?
そこで今回は、
- 高市早苗さんの家族構成&家系図を紹介!
- 衆議院議員の高市早苗さんの元夫について
- 高市早苗さんの子供や養子をとった理由
- 秘書官を務める高市早苗さんの弟について
- 高市早苗さんの両親の職業やエピソード
という内容を中心に、高市早苗さんの家族の情報をわかりやすくまとめてお届けします。
高市早苗の家族構成&家系図!
高市早苗さんの家族構成を分かりやすくするために、家系図を作りました。

高市早苗さん自身の家系には政治家や議員はおりませんが、元夫の山本拓さんは父親や祖父が議員という家系です。
では、ここからは高市早苗さんの家族を1人ずつ詳しく掘り下げていきましょう。
高市早苗の元夫は山本拓
高市早苗さんは2004年に、衆議院議員の山本拓さんと結婚されました。
その後2017年に離婚されていますが、それまでは「政界のおしどり夫婦」として知られていました。
元旦那・山本拓の家族は政治家一家!
高市早苗さんの元夫は、自由民主党所属の衆議院議員・山本拓さんです。
引用:山本拓ホームページ
- 生年月日:1952年7月7日
- 出身地:福井県鯖江市生まれ
- 出身校:鯖江市立神明幼稚園、神明小学校、中央中学校、福井県立武生高校、法政大学文学部
- 趣味:映画鑑賞、料理(調理師資格あり)、作詞作曲
- 座右の銘:バラバラでいっしょ ~違いを認めて一緒に活動することが大事~
年齢は高市早苗さんより9歳年上(8学年上)にあたります。
山本拓さんの父親・山本治さんは鯖江市長、福井県議会議長、自民党福井県連幹事長を歴任しました。
また、父方の祖父・山本雅雄さんについても元福井県議会議員という政治家一家です。
元旦那・山本拓との離婚理由は?
結婚から13年が経った2017年7月19日、都内の区役所に離婚届を提出した高市早苗さんと山本拓さん。
当時連盟で出したコメントでは、離婚理由についてこう語られていました。
私生活面では円満に楽しく過ごしてまいりましたが、お互いの政治的スタンスの違いが大きく、それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至りました
引用:日テレNEWS24
不仲での離婚ではなかったようですね。
高市早苗の子供は息子と娘が2人!
子供が授からず養子を迎える
13年の結婚生活を過ごした高市早苗さんと山本拓さんですが、お二人の間に子供は生まれていません。
高市早苗さんは、2007年1月21日に自身のホームページにて少子化対策に対するコメントを更新したのですが、その中でご自身の子供に関することを明かしています。
あまりにも私的な事で恐縮ですが、残念ながら私の身体は、婦人科の病気で手術をしてから妊娠や出産が困難な状態にあるようで、子供を授かることを切望しつつも諦めた次第です(血は繋がらないものの素直でかわいい息子や娘が居りますので、十分に幸せですが)。
過去に婦人科の病気で手術をしてから妊娠・出産が難しい身体になっていたんですね。
ですがコメントにもある通り、高市早苗さんには“血の繋がらない息子と娘”、つまり養子がいらっしゃいます。
息子の山本建も議員だった!
高市早苗さんの養子(息子)は、福井県の県議会議員の山本建さんです。
引用:山本建ホームページ
- 生年月日:1984年2月18日
- 出身地:福井県鯖江市水落町1丁目
- 出身校:神明小学校、中央中学校、鯖江高校、金沢学院大学卒業、現在慶應義塾大学(通信課程)に在籍
- 趣味:映画鑑賞、釣り
- 家族:妻、長男、猫
- 肩書き:福井県県議会議員、元・神明小学校そだての会(PTA)会長、現・公益社団法人鯖江青年会議所(JC)専務理事
大学卒業後の経歴は、民間企業に勤務したのち、国会議員秘書を経て福井県議会議員に立候補。2019年4月に初当選しています。
プライベートでは結婚しており、子供は漣くんという男の子が一人います。
子供(養子)は全部で3人いる?
高市早苗さんの子供は、ネット上の情報では2人とされていますが、どれもご本人のコメント等のソースはありません。
当サイトでは、詳しく調べてみたところ子供(養子)は3人いるのではないかという結論に至りました。
その理由ですが、高市早苗さんの息子の山本建さんのFacebookページを見てみると、家族のページにこのような記載がありました。
姉に涼子さん、姉に杏子さんという名前があります。
奥様の姉妹など義兄弟の可能性も考えられましたが、Facebook投稿のコメントのやり取りなどを見ると、杏子さんとは兄弟同士のやりとりに見えました。
杏子、涼子という名前にも統一性がありますので、2人兄弟ではなく3人兄弟だったのではないかと考えられます。
また、Twitterにもこんなツイートがありました。
山本拓議員は前妻との間に3人子どもがいるのか。会えてるといいな。
高市早苗総務相と山本拓氏が語った「離婚の真相」(文春オンライン) – Y!ニュース https://t.co/geJ9rFdo6k #Yahooニュースアプリ
— Regain Access (@PA_ischildabuse) July 26, 2017
該当の記事は既に削除されていますが、3人子供がいることは週刊誌でも取り上げられていたことがあるようです。
こちらの情報はあくまでも本人FacebookやTwitterの情報をもとにした仮説であることをご理解ください。
高市早苗には孫がいる?
高市早苗さんは、孫がいることも公言されています。
山本建さん、そして娘と思われる2人のFacebookアカウントを確認すると、養子3人には全員子供がいるようです。
福井県議会議員の山本建さんについては、公式ホームページでも息子が1人いることを公表しています。
さらに、Facebookの過去の投稿を見ると、山本建さんの長男(高市早苗さんの孫)漣くんの生年月日は2007年11月3日、年齢は2021年で14歳になることがわかりました。
高市早苗の弟は政務秘書官!
弟の知嗣は政務秘書官
高市早苗さんには、6歳下の弟がいます。名前は高市知嗣さん。
両親が共働きであったため、高市早苗さんは保護者のように弟の世話をしていたそうです。
職業は、高市早苗さんの政務秘書官を務めています。
もともとは自民党本部の職員として働いていましたが、高市早苗さんが奈良県の実家に戻って本格的な政治活動を始めたときに、弟の知嗣さんも退職して、実家に戻って早苗さんの政治活動を手伝い始めました。
しかし、2003年の初めての選挙の結果は落選。
この時、無職となってしまった知嗣さんの再就職先となったのは、山本拓事務所でした。
その後、高市早苗さんは山本拓さんと結婚したわけですから、お二人の結婚には弟の知嗣さんが大きく関わっていたとも言えますね。
弟の知嗣は結婚して子供がいる?
知嗣さんのプライベートについては、結婚して子供が1人以上いるようです。
高市早苗さんのホームページのアルバムページを見ると、2006年7月8日に「弟に長男(大吉くん)誕生!!」というタイトルでこちらの画像が投稿されていました。
甥っ子の大吉くん誕生以降はこのような投稿はありませんでした。
過去には1億円の使途不明金報道も
高市早苗さんの弟・知嗣さんには、過去に政治資金に関する報道が出たことがあります。
2015年4月6日発売の「週刊ポスト」は、
政府系金融機関から融資を受けた農業法人に1億円の使途不明金があることが発覚し、高市氏の実弟である秘書官が関わっていた疑いがある。
と報じました。
高市早苗さんは発売日同日朝に臨時記者会見を開き、
見出しも中身もあまりに悪質であり、捏造(ねつぞう)記事だ。
融資には高市事務所も秘書官も私も一切関与していない。
などと全面的に否定しています。
高市早苗の両親はどんな人?
高市早苗さんの実家は政治家一家ということはなく、両親は共働きのサラリーマン家庭だったようです。
ここでは、母親と父親それぞれの職業やエピソードを紹介していきます。
母親の和子は奈良県警
高市早苗さんの母親・高市和子さんは奈良県警察に勤務されていました。
引用:奈良県警察
当時、娘の早苗さんには早く結婚して家庭に入ることを望んでいたそうです。
そんな和子さんは、高市早苗さんの政治家としての方針にも大きく影響を与えている人物です。
特に政策面で大きな影響を与えたのは、高市早苗さんが総務大臣に在任中の2015年4月の出来事です。
ある夜、「奈良県に住む母親が心停止状態で病院に運ばれた」という連絡が入りました。
高市早苗さんは東京での会合が終了後、最終便の飛行機に乗って奈良に向かいました。
母・和子さんは何とか一命をとりとめましたが、入院した先の総合病院の病室はナースステーションから遠く、なんと心拍数や呼吸数の情報を送る「医用テレメータ」の電波がナースステーションまで届かない状態だったそうです。
このときのに医療現場での通信インフラに問題があることを知った高市早苗さんは、全国の病院でも同じことが起きているのではないかと考えました。
調査をした結果、全国各地の病院で電波に関する多数のトラブルが発生していることが判明。
すぐにこの問題に着手し、約1年後の2015年4月には専門家チームとともに『電波の安全な利用のための手引き』を取りまとめ、その後通信インフラの改善を実現していました。
それから3年後、母・和子さんは2018年4月16日に86歳でお亡くなりになっています。
父親の大休はメーカーのサラリーマン
高市早苗さんの母親・高市大休(だいきゅう)さんは、メーカー勤務のサラリーマンでした。
こちらは2020年3月17日の衆議院本会議の画像ですが、両親ともに娘には早く家庭に入って欲しいと思っていたようです。
この時の本会議では、父・大休さんについてこんなエピソードも語られていました。
衆議院解散までの約一年間、広い奈良県の各地を回り、毎日、街頭演説を行い、個別訪問やミニ集会を続け、懸命に政策を訴え、後援会拡大活動を続けてきたことから、ささやかな自信はあったものの、客観的な選挙分析では泡沫候補でございました。
「あと一期、我慢して待ちなさい」と後援会長からも引きとめられ、私は、公示日を目前に、苦悩し続けておりました。
そんなある夜、家族が寝静まった後に帰宅いたしますと、キッチンのテーブルの上に父からの手紙が置いてありました。
「俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って!握手とお辞儀を忘れるな。気楽にやれ。」
父の手紙を抱き締めて泣きながら、出馬する決心を固めました。
私は、父はメーカー勤務、母は奈良県警勤務という平凡な共働き家庭に育ち、両親ともに、私が早く結婚して安定した家庭生活を送ることを望んでいました。
ところが、私が東京での仕事を辞めて奈良県に戻り、本格的な政治活動を始めた上、自民党本部の職員だった弟も、職を辞して、私の政治活動を手伝うために奈良県に戻ってきてしまいました。
いきなり無職となった子供二人が実家暮らしを始めたのですから、両親の苦悩は想像を絶するものだったはずです。
それでも、常に堅実に生きることを私に求め続けていた父が、最も苦しい決断の瞬間にはそっと背中を押してくれたのです。
翌日、出馬表明の記者会見を行い、多くのボランティアの方々に助けていただいて挑戦した無謀な選挙戦でしたが、何とかトップ当選を果たすことができ、この衆議院本会議場に足を踏み入れたときの感動は今も忘れることはございません。
父・大休さんが背中を押してくれたおかげで、今の高市早苗さんがあるということですね。
その後、大休さんは2013年5月5日に79歳でお亡くなりになっています。