その他著名人

冨永愛には壮絶な過去があった!知られざる半生や近況を大公開

スーパーモデルとして一世を風靡した冨永愛さんですが、その成功の裏では知られざる壮絶な半生を送っています。

そこで今回は、冨永愛さんの

  • 壮絶な生い立ち
  • イジメに苦しんだ学生時代

など壮絶な過去について、近況と併せてまとめました。

冨永愛のプロフィール

引用:Twitter

冨永愛の近況

2023年8月の誕生日でデビュー25周年を迎えた冨永愛さん。そんな冨永愛さんの近況をご紹介!

初の女性”信玄公”として出陣

引用:Twitter

そんな冨永愛さんは2023年10月28日に開催された、山梨県最大の祭りとして知られる『信玄公祭り(第50回)』のメインイベントである武者行列「甲州軍団出陣」で、

初の女性による信玄公役

を務め、会場からは大歓声が沸き起こっています。

https://twitter.com/Ryuichi_Yonetsu/status/1718205746901655802

現役スパーモデルや女優・実業家と多方面で活躍

引用:Twitter

一時はランウェイから遠のいていた冨永愛さんですが、2020年に自らオーディションを受け10年ぶりにパリコレに復帰するなど、現在も現役スーパーモデルとして活躍しており、2023年には『VOGUE JAPAN』の表紙を23年ぶりに飾っています。

さらに近年は女優としても精力的に活動する冨永愛さんは、2023年には『大奥「8代・徳川吉宗×水野祐之進編」』に 徳川吉宗役で出演し、女優としても高い評価を得て「第115回ザテレビジョンドラマアカデミー賞主演女優賞部門」で第2位に輝いているのです。

こうして現在も現役モデルとして活躍する冨永愛さんは、デビュー25周年を迎えた2023年に、今だからこそ出来る新プロジェクトとして、モデルらのセカンドキャリアを支援する新会社

芸能事務所『Crossover(クロスオーバー)

を設立し、キャリアコンサルテーションはもちろんのこと、新たなスキルを身につけるためのサポートなどを行っています。

社会貢献活動にも尽力

また冨永愛さんはモデルを続けながら国際協力NGOジョイセフのアンバサダーとして社会貢献活動に励むほか、日本文化や日本の伝統工芸を広める活動や消費者庁のSDGsアンバサダーを務めるなど、多方面で活躍しています。

 

冨永愛の過去!知られざる半生を紹介

現在も現役スーパーモデルのみならず多方面で活躍する冨永愛さん。

一見、順風満帆に見える人生ですが、その裏には壮絶な過去があったのです。

母親への憎悪・イジメをバネに、モデルへ

引用:Twitter

冨永愛さんは2014年10月、自伝『Ai 愛なんて大っ嫌い』を出版しており、冒頭から

殺してやる──、 絶対にぶっ殺してやる。 許さない

と冨永愛さんのサバサバした性格からは想像がつかないような言葉が並び、当時大きな話題となったのです。

そんな冨永愛さんの幼少期は極貧で、母親は結婚と離婚を繰り返し、3姉妹の父親は全員違うという複雑な家庭環境で育ったのです。

さらにネグレクト気味だった母親はほとんど家におらず、たまに帰ってきても酔っぱらっていたと言い、そんな家庭環境や並外れたスタイルから‟宇宙人”というあだ名をつけられ、小学校4年生から学校でイジメに遭うようになったのです。

そして小学校4年生の時に母親にイジメに遭っていると相談するも、母親は全く関心を示さず呼びかけにも応じてもらえなかった冨永愛さんは、どんどん孤独感にさいなまれ、中学生の時にはついに自殺未遂まで起こしているのです。

しかし‟自分が死ぬ変わりに殺してやる”という思いから15歳の時にモデルとしてのキャリアをスタートした冨永愛さんは、当時は雑誌のモデルを務めたものの、高身長だったことから既製品が合わず、仕事に呼ばれないという日々を過ごしたのです。

17歳でコレクションモデルデビューし、トップモデルへ

そんな冨永愛さんに転機が訪れたのは17歳だった2000年。

高校の制服を着た写真が雑誌『VOGUE』に掲載されると、その写真が海外のファッション関係者の目にとまり、本格的に世界で活動することになったのです。

そして2001年にニューヨークコレクションでランウェイデビューを果たした冨永愛さんですが、当時はアジア人モデルが少なかったため、アジア人という理由から正当な評価を得られないなど悔しい思いをしたこともあるそうです。

しかしその悔しさをモチベーションにモデルの仕事を楽しんだという冨永愛さんは、日本を代表するトップモデルにまで登り詰め、世界中を飛び回る生活を送ったのです。

結婚・出産・離婚を経て、3年間の休業へ

引用:Twitter

こうしてトップモデルになった冨永愛さんですが、2004年10月にパリ在住の日本人パティシエと結婚すると、翌2005年3月には長男・章胤(あきつぐ)さんが誕生したのです。

そして半年の休業後、ランウェイに復帰した冨永愛さんは、子供を抱えながら世界中を飛び回る生活を送り仕事面においては順調そのものでしたが、結婚生活は長く続かず2009年4月に離婚を発表したのです。

そんな冨永愛さんはシングルマザーとして仕事と育児を両立しならがモデルとしての頂点を極め、さらに無人島サバイバルバトル番組などバラエティ番組でも人気を集めましたが、ついに体が悲鳴を上げて2013年に過労により入院すると、息子も母親の多忙から心が悲鳴を上げており、最愛の息子から

ぼく、生まれてこなきゃ、よかった

とショッキングな言葉を投げつけられたのです。

シングルマザーとして仕事と子育てを両立していた冨永。ときには大黒柱の父親役も担わなくてはならず、生活費や教育費を稼ぐことに不安を抱えていたと前述の著書に記している。そして、忙しすぎる生活で悲鳴を上げていたのは自身の体だけではなかった。最愛の息子から「ぼく、生まれてこなきゃ、よかった」とショッキングな言葉を投げつけられたことも同著で明かしている。

引用:AERA dot.

そこで息子のために2014年から休業した冨永愛さんは、失った時間を取り戻すかのように、2人でたわいもない日常を過ごしたり、旅行に出かけたり、小学校のPTA役員を務めるなど息子との時間を謳歌したのです。

しかし休業から3年後、中学生になった息子から‟そろそろ仕事したら?”と提案された冨永愛さんは、これをきっかけに芸能界へ復帰し、今があるのです。

こうして休業したことで、自身にも息子にとっても大切な時間を過ごすことが出来た冨永愛さんは、現在も親子関係がとても良好で、2022年10月には息子・章胤さんが『VOGUE JAPAN』でモデルデビューを果たし、親子共演を果たしています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、冨永愛さんの壮絶な半生について、近況と併せてご紹介しました。

幼少期からネグレクトの母親により孤独だった冨永愛さんは、小学生になると日本人離れしたスタイルからイジメのターゲットにされるなど辛い学生時代を送りましたが、その憎悪をバネに15歳でモデルとしてのキャリアをスタートし、トップモデルへと駆け上がったのです。

そしてその後は結婚・出産・離婚を経てシングルマザーになった冨永愛さんは、多忙で大切なことを忘れかけていましたが、息子の一言がきっかで休業し、かけがえのない親子の時間を取り戻すことが出来たのです。

そんな冨永愛さんは現在も現役スーパーモデルのみならず多方面で大活躍しており、今後の活躍にも注目です。