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鳥嶋和彦は「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」大ヒットの立役者

ストライプのスーツを着て微笑む鳥嶋和彦

鳥嶋和彦さんは元集英社の編集者で、「Dr.スランプ」に登場するDr.マシリトのモデルです。

漫画とゲームやアニメのメディアミックスを推進し、現場を退いた後もなお漫画業界で活躍し続けています。

今回は鳥嶋和彦さんのプロフィールや経歴、鳥山明さんとのエピソードなどを紹介しましょう。

鳥嶋和彦さんのプロフィールと経歴

プロフィール
  • 名前:鳥嶋和彦(とりしま かずひこ)
  • 生年月日:1952年10月19日
  • 出身地:新潟県
経歴
  • 1976年:集英社に入社し「週刊少年ジャンプ」へ配属
  • 1980年:鳥嶋和彦の助言を元に鳥山明の「Dr.スランプ」が連載開始
  • 1993年:ゲーム情報誌「Vジャンプ」の創刊編集長へ
  • 1996年:6代目「週刊少年ジャンプ」の編集長に就任
  • 2010年8月〜2015年8月:集英社全雑誌の責任者専務取締役へ
  • 2015年11月白泉社の社長、2018年11月会長を歴任
  • 2022年11月末退任し、フリーの漫画編集者へ
  • 2022年12月:ブシロード社外取締役に就任
  • 2023年7月21日:「Dr.マシリト最強漫画術」を出版

鳥嶋和彦さんはゲーム「ドラゴンクエスト」の制作時、鳥山明さんをキャラクターデザインに提案したほど信用していたようです。

鳥嶋和彦は鳥山明を見いだす

2024年3月1日に天国へ旅立った漫画家鳥山明さんの才能を発掘し活かしたのが、元集英社編集者の鳥嶋和彦さんです。

電ファミニコゲーマーの公式ホームページへ次のようなコメントを寄せました。

45年に渡りありがとうございました。鳥山さん、あなたは最高の漫画家でした。

鳥山明さんは「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」と「週刊少年ジャンプ」を代表する作品を描いてきました。

鳥嶋和彦さんは20代半ば頃、月例新人賞に応募した鳥山さんに次のような光るものを感じ、指導したそうです。

  • 絵のうまさ
  • 書き文字のレタリングがきれい
  • 垢抜けたデザインセンス
  • 原稿がきれいで執筆スピードも早い
  • 手垢や直しによる汚さがほぼない
  • ストーリーの面白さ

鳥山明さんが新人賞へ投稿し始めた1977年頃、鳥嶋さんは集英社入社2年目でした。

ライバルの週刊少年マガジンや週刊少年サンデーは当時100万部前後の売上があり人気漫画家を確保していたため、後発の「少年ジャンプ」は新人に望みをかけるしかないと思ったそうです。

既成概念にとらわれない感性のニューウェーブと若手編集者の組み合わせがうまくマッチしました。

創刊から10年足らずで「少年ジャンプ」は、漫画雑誌業界のトップに上り詰めます。

鳥嶋和彦が思う鳥山明の性格

  • 負けず嫌いで仕事が早い
  • 割り切るので下書きの段階で迷わない
  • 頭が良く、精神的にタフ

人気絶頂期で週刊連載のため5日に1本書いてもらったが、原稿落ちは0だといいます。

1回でも失敗すれば愛知から東京へ出てくる約束で、嫌だったのだろうと語りました。

FAX普及前は原稿を羽田空港まで空港便で送ってもらい、鳥嶋和彦さんが車で取りに行ったことも。

社会人経験があり、自身の原稿が遅れると製作所など様々なところに迷惑がかかると理解していたのだそうです。

鳥嶋和彦が語る「Dr.スランプ」

1980年に「Dr.スランプ」で連載デビューを果たしますが、直前の1年間で500ものボツを言い渡したそうです。

お互い納得のいく仕上がりには、必要な数だったと振り返ります。

Dr.スランプのアラレちゃんは、当初1話だけの予定でした。

しかし鳥嶋和彦さんが、鳥山明さんへ主人公に持ちかけたといいます。

Dr.スランプ文庫本8巻の表紙でバイクに乗る則巻千兵衛とアラレ出典:集英社

アラレちゃんを作った自称天才博士則巻千兵衛をメインに考えており、断られたそうです。

負けず嫌いな鳥山明さんへ、賭けを持ちかけます。

女の子が主人公の読み切り「ギャル刑事=でか=トマト」が読者アンケート3位以内に入ったら言うことを聞く。

当時無名に近かった鳥山明さんには高いハードルでしたが、絶対に取ると信じたといいます。

おかげで鳥山明さんは作品に入り込みすぎず、客観視できたとか。

漫画家は自分が描きたいものを描くが、編集者は気づいていない才能に着目し世の中に出す役目があると鳥嶋和彦さんは思っているそうです。

最初の読者になるので、読んだときの感覚で通用するか見極めないといけないと考えました。

おっさんばかりが登場する「ギャル刑事=でか=トマト」の中で少し出てくる天使がかわいく、女の子メインの作品を作ってほしかったといいます。

鳥嶋和彦モデル、Dr.マシリト誕生秘話

Dr.スランプでマッドサイエンティストの回があり、インパクトに欠けたためボツにしたそうです。

一番嫌いな嫌なやつを描いてこいと指示し、鳥嶋和彦さんの顔が上がったといいます。

躊躇したが、締め切りギリギリで修正時間がなく踏み切ったそうです。

読者アンケートで悪の科学者Dr.マシリトの回の人気が高く、編集者として止められなくなったといいます。

鳥嶋和彦が語る「Dr.スランプ」開始から半年後

Dr.スランプ製作から半年後の人気絶頂期にもうやめたいと言われたそうです。

1話完結の読み切りギャグ漫画は描いていて辛かったといいます。

鳥嶋和彦さんが当時の編集長に告げると、もっと人気が取れそうな作品ができたら終わってもいいと返答されたそうです。

綿密な打ち合わせをしながら連載と並行し読み切りの漫画作りも進めたが、うまくいかなかったといいます。

鳥嶋和彦が語るドラゴンボール秘話

愛知県にいる鳥山明さんの自宅へ行きお茶を出してくれた奥さんから、普通の漫画家は音楽を聴きながらの執筆だが、旦那はビデオデッキでジャッキーチェンのカンフー映画をかけての作業と聞きます。

セリフから見たいシーンと判断し、顔を上げチェックするそうです。

認識できるようになるまで50回は視聴したといいます。

そこまで好きならと鳥嶋和彦さんが勧め描いた「騎竜少年(ドラゴンボーイ)」がダントツ1位になり、ドラゴンボールの原型になりました。

連載用にブラッシュアップしたといいます。

Dr.スランプの作家のため最初は色ページ付きで開始されましたが、なくなり人気が落ちたそうです。

読者アンケートも10位になり、打ち切りもよぎったといいます。

少年ジャンプは10週ごとに新連載を打ち出し、6、7周目で評判が悪ければ別の作品に切り替えられるからです。

鳥嶋和彦さんは鳥山明さんと孫悟空のキャラクターや作品のテーマを、とことん話し合ったといいます。

主人公は強さを求めていると紐解かれ、1番を決める天下一武道会編ができたとか。

当初冒険面をメインに物語は進み読者アンケートの評価も伸び悩みましたが、戦闘を描くに連れ人気が上がります。

数週後読者アンケートで北斗の拳を抜きトップになり、何回か譲ることはあってもほぼ1番になりました。

鳥嶋和彦さんは気に入らない場合引き続きボツも言い渡しましたが、最初の読者となる編集者が作家に状況を知らせなければ良いものはできない信念のもと取り組んだそうです。

鳥嶋和彦はコミックスの常識を覆す

コミックスの収益をおまけ程度と昔の出版社は考えましたが、常識を覆したのが「Dr.スランプ」の大ヒットです。

発売初日に20万部完売しました。

鳥嶋和彦さんが狙って仕掛けたものだといいます。

「Dr.スランプ」が他の本に紛れないように実力デザイナーに発注・目立つカバー絵にし、単行本でしか読めないおまけページも作成したそうです。

当時の漫画家の原稿料は安く雑誌の連載だけでは貯金も困難なため、コミックスの印税で稼いでもらいたかったといいます。

読者アンケートで人気が出ない場合は打ち切りです。

しかし最低でも区切りの10回があればコミックス1巻分になり、作者へ印税が入る思いもありました。

鳥嶋和彦は少年ジャンプ低迷期に編集長に就任

ドラゴンボールの連載が終了し、SLAM DUNKの終わりも決まっていた中の1996年でした。

部数が落ちたのは新人を育成しなかったからと分析。

有名作家に頼みたくなるが、読者からすれば代わり映えしない点を危惧したといいます。

前の編集長時代は総投票数を重視したが、小中学生からの支持を集める漫画家の力を伸ばすのが大切と考えたのです。

新人漫画家発掘の元少年ジャンプ方針に戻した結果、3年目に今では世界でも大人気な次の作品が登場します。

  • ONE PIECE
  • HUNTER×HUNTER
  • NARUTO-ナルト-

ONE PIECEの連載決定までに2時間かかったそうです。

鳥嶋和彦さんも反対しましたが若い編集担当者の熱意に押され開始し、初回読者アンケートで1位獲得・今では欠かせない人気作品となります。

しかし20年トップに居続ける状況に危機感を持っており、追い越す新人の登場・発掘を期待していました。