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役所広司の芸名の由来は区役所だった!どこの区役所に務めていたの?

2017年に主演したテレビドラマ『陸王』の大ヒットで知られ、今夏最大の視聴率を誇った『VIVANT』にも出演するなど、ベテラン俳優として活躍する役所広司さん。

そんな役所広司さんの芸名は、実は過去に‟区役所”に勤務していたことから名付けられています。

そこで今回は、役所広司さんが若い頃に務めていた区役所は何処なのか?プロフィールや経歴と併せてまとめました。

役所広司のプロフィール

引用:西日本新聞

役所広司は日本を代表するベテラン俳優

引用:Twitter

1980年にNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』で俳優デビューした役所広司さんは、1983年1月から放送されたNHK大河ドラマ『徳川家康』で注目を集めると、翌1984年にはNHK新大型時代劇『宮本武蔵』の主人公・武蔵役で初めて主演に抜擢され、エランドール新人賞を受賞したのです。

そして1987年から1995年にかけて『三匹が斬る!』シリーズにも出演した役所広司さんは、シリーズも大好評で主に時代劇を中心に活動したのです。

スクリーンでも大活躍

そんな役所広司さんは映画では1985年公開の伊丹十三監督『タンポポ』での白服の男役が評判となると、1988年の日本とスイスの合作映画『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』で映画初主演を果たしたのです。

そして1990年公開の映画『オーロラの下で』で日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を受賞した役所広司さんは、1995年の『KAMIKAZE TAXI』で現代日本社会のひずみを見据えるペルー帰りの日本人を好演し、毎日映画コンクール主演男優賞を受賞したのです。

1996年、主演男優賞を総ざらい

さらに1996年公開の主演映画『Shall we ダンス?』が大ヒットを記録した役所広司さんは、同年公開の『シャブ極道』と『眠る男』と、その年の主演男優賞を総ざらいし、俳優としての地位を確立したのです。

さらに1997年の『失楽園』や『うなぎ』も大ヒットを記録し、『うなぎ』ではカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した役所広司さんは、

2年連続で、20以上の国内映画賞を獲得

し、日本を代表する映画俳優の1人となったのです。

2005年以降、日本のみならず海外でも活躍

また2005年に話題作『SAYURI』でハリウッドデビューを果たした役所広司さんは、名実ともに日本を代表する俳優となると、翌2006年にはアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督『バベル』でブラッド・ピットと共演し、2008年にはフランソワ・ジラール監督『シルク』にも出演し、「シカゴ国際映画祭主演男優賞」や「バレンシエンヌ国際映画祭オマージュ賞」など海外においても数々の賞を受賞したのです。

しかしその後、10年以上海外の作品に出演がなかった役所広司さんですが、2023年公開のヴィム・ヴェンダース監督による日独合作映画『PERFECT DAYS』で主演および製作総指揮を務めると、日本人では2人目となる

カンヌ国際映画祭の最優秀男優

を受賞し、世界でも俳優として認められたのです。


プライベートでは売れ始めた頃に結婚

引用:Twitter

20代の頃から数々の映画やテレビドラマで活躍した役所広司さん。

プライベートでは俳優として売れ始めた1982年の26歳の時、当時女優として活動してた4歳年上の河津左衛子さんと結婚しています。

そんな役所広司さんは結婚して1週間後に、NHK大河ドラマ『徳川家康』の織田信長役のオファーがあったため、奥さんの河津左衛子さんはまさに、

幸運の女神!!

だったのです。

こうして幸運の女神である河津左衛子さんと結婚した役所広司さんは、現在奥さんが事務所の代表を務めていることもあり、財布の紐からスケジュール、さらに体調まできっちりと理されているそうです。

1985年には息子も誕生

また役所広司さんと河津左衛子さんの間には、1985年に第1子となる長男が誕生しており、現在は‟橋本一郎”名義で父の背中を追って俳優として活動しています。

役所広司はどこの区役所出身!?

今では名実ともに俳優としての地位を確立し、65歳を過ぎた現在も映画やテレビに引っ張りだこの役所広司さんですが、実は以外な経歴の持ち主だったのです。

‟区役所職員”から劇団の東大へ

長崎県諫早市で生まれ育った役所広司さんですが、実は高校卒業後は上京し区役所に勤務しており、

役所勤めをしていたことをもじって、芸名がつけられた

というエピソードはとても有名な話として知られています。

前職が区役所勤務だったことから“役所広司”の芸名を仲代から与えられた彼(役が広がるように、との願いも込められているとのこと)は、同塾の公演に参加しつつ、1980年にドラマ・デビューを果たした。

引用:集英社オンライン

そんな役所広司さんはもともと俳優を目指して上京したのではなく、役者を目指すきっかけとなったのは、都合が悪くなった知人の代わりに仲代達矢が出演した俳優座の舞台『どん底』を観て感銘を受けたため、俳優を志したのです。

そして『劇団の東大』と呼ばれる、仲代達矢主宰の俳優養成所『無名塾』に200倍もの難関を突破し合格した役所広司さんは、入塾当初から才能を発揮すると、大道具兼コロス(古代ギリシャ劇の合唱団)として全国各地を公演で回り活躍したのです。

公務員生活から一転、合宿のような、にぎやかな生活。「毎日が新しいことばかりで、楽しかったですよね。早く仕事をしたい、とか思ってなかったような気がします。みんなで稽古して、ここ(無名塾)で『おお、うまかった』と褒めてもらうことだけがテーマでしたね」

引用:読売新聞オンライン

役所広司は‟千代田区役所”に務めていた!!

こうして区役所勤務から難関と言われる無名塾に合格した役所広司さんは、東京の

千代田区役所・土木工事課

に勤務していたことが本人の証言から明らかとなっています。

因みに、なぜ役所広司さんが長崎の役所ではなく、東京の区役所を選んだかについては不明でした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、役所広司さんが若い頃に務めていた区役所は何処なのか?プロフィールや経歴と併せてご紹介しました。

区役所に勤務していたことから‟役所”という芸名が付いた役所広司さんは、高校卒業後に上京し、東京の千代田区役所に勤務したことで舞台『どん底』と出会い、現在の姿があるのです。

そんな役所広司さんの俳優としての勢いは留まることを知らず、今後の活躍にも注目です。