歌手・アイドル

【祝】松田聖子が大学を卒業!近況をたっぷり紹介

1980年のデビュー以降トップアイドルとして君臨し、現在もアーティストとして第一線で活躍する松田聖子さん。

そんな松田聖子さんが大学を卒業したことが報じられ、大きな話題となっています。

そこで今回は、松田聖子さんの大学卒業の話題など近況について、プロフィールや経歴と併せてまとめました。

松田聖子のプロフィール

まずは、松田聖子さんのプロフィールや経歴をご紹介!

引用:週刊女性PRIME

松田聖子は‟永遠のアイドル”

高校から歌手に憧れる

中学時代から歌が好きで、テニスラケットをマイクに見立ててキャンディーズの曲を歌っていたという松田聖子さんは、高校に入学すると大ファンだった郷ひろみさんのコンサートが福岡で開催される度に見に行き、次第に歌手に憧れるようになったのです。

そしてテイチク新人歌手オーディションに応募した松田聖子さんは2次審査で落選すると、第2回ホリプロタレントスカウトキャラバン九州大会にも応募しましたが、書類選考で落選してしまったのです。

それでも諦めなかった松田聖子さんは1978年、CBSソニーと集英社が主催する『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に桜田淳子さんの「気まぐれヴィーナス」を録音したテープを送り予選で合格すると、九州地区大会に出場し見事優勝したのです。

しかし父親に内緒で出演したため、数日後に打ち明けるも芸能界入りを断固として反対された松田聖子さんは、全国大会へは出場出来なかったものの、松田聖子さんの歌声を聴いて“この子は絶対に売れる”と確信したCBSソニー制作部・若松宗雄によってその後スカウトされたのです。

デビュー後は‟トップアイドル”として人気を集める

そして父親を説得し1979年に上京した松田聖子さんは、同年8月のテレビドラマ『おだいじに』で女優デビューすると、その後はオーディションに落ちる日々を過ごしましたが、翌1980年4月にシングル『裸足の季節』で念願の歌手デビューを果たしたのです。

そんな松田聖子さんは当初は顔と名前の浸透度が低く、CMのイベントやサイン会でも

あの娘は誰?

という目で見られていましたが、程なくして『夜のヒットスタジオ』などの人気歌番組に出演したことで、その容姿と歌唱力が認められ瞬く間に人気を博したのです。

そして2ndシングル『青い珊瑚礁』がザ・ベストテンの第1位を獲得し、「第22回日本レコード大賞」で新人賞を受賞した松田聖子さんは、その後も

  • 『風は秋色』
  • 『白いパラソル』
  • 『夏の扉』
  • 『赤いスイートピー』

など多くのヒット曲を世に送り出し、

3rdシングルから26枚目までオリコンチャート1位

という記録を達成したのです。

‟聖子ちゃんカット”で社会現象を巻き起こす

引用:Twitter

そんな松田聖子さんはデビュー後は一貫して‟聖子ちゃんカット”と呼ばれる髪型を貫いており、一時は日本中の若い女性が松田聖子さんの髪型を真似したことから社会現象にまで発展し、日本全国どこへ行っても‟聖子ちゃんカット”の女性で溢れていたそうです。

1990年代に入るとシンガーソングライターとして活躍

こうしてトップアイドルとして活躍し社会現象までもを巻き起こした松田聖子さんは、1984年からアルバムで作詞を手掛けており、1986年に同事務所の岡田有希子さんに提供した『くちびるNetwork』でオリコン1位に輝くと、1990年代以降はほぼ毎作シングルの作詞を担当するなどシンガーソングライターとして活動したのです。

そして小倉良さんと共に作曲にも挑戦した1992年リリースの『きっと、また逢える…』が32.3万枚のヒットを記録した松田聖子さんは、作詞、作曲を手掛けた1996年リリースの『あなたに逢いたくて~Missing You~』で8年ぶりのオリコン1位・ミリオンセラーを獲得し、シンガーソングライターとしての地位を確率したのです。

そんな松田聖子さんは1980年代デビューのアイドルの中でも、アイドル性とアーティスト性を両立した代表的な歌手で、日本武道館を満員にする集客力を持つ‟永遠のアイドル”と称されています。

松田聖子のプライベート

1980年代にトップアイドルに君臨し、容姿も歌声も抜群だった松田聖子さんは、恋多き女でも有名で、これまで2度の離婚も経験しています。

神田正輝との結婚・離婚

引用:Twitter

トップアイドルに君臨して程なくして、大ファンだった郷ひろみさんとの熱愛・破局会見で世間を騒がせた松田聖子さん。

そんな松田聖子さんは郷ひろみさんとの破局会見からわずか10日後の1985年2月に神田正輝さんとの交際が報じられると、4か月後の1985年6月に結婚したのです。

そして翌1986年10月には長女・神田沙也加さんにも恵まれた松田聖子さんですが、1997年1月に神田正輝さんとの離婚を発表したのです。

離婚翌年に電撃再婚

引用:Twitter

しかし恋多き松田聖子さんは離婚をものともせず、離婚翌年の1998年5月に6歳年下の歯科医と電撃再婚を発表すると、当日はマスコミが集結し大騒ぎとなったのです。

そんな松田聖子さんは

松田聖子
松田聖子
合った瞬間にビビビッときた

と当時は”ビビビ婚”などと呼ばれ注目を集めましたが、結婚生活は長く続かず2年後の2000年12月に離婚しています。

2021年、愛娘・神田沙也加が急逝

引用:Twitter

こうして2度の結婚の中で唯一、1人娘である神田沙也加さんを授かった松田聖子さん。

一時は神田沙也加さんとの不仲説が報じられたこともありましたが、母親として同じ芸能界で切磋琢磨する娘を陰ながらずっと見守ってきたのです。

しかし2021年12月18日、娘・沙也加さんが滞在先の北海道のホテルで急逝し、永遠の別れをしています。

松田聖子の近況

引用:Twitter

2024年3月の誕生日で62歳を迎えた松田聖子さん。ここでは、松田聖子さんの近況をご紹介します。

2024年3月、中央大学を卒業

実は2020年に人知れず、『中央大学法学部』の通信教育課程に入学した松田聖子さんは、レコーディングやコンサートなど忙しい合間をぬって勉学との両立に励み、2024年3月に4年間で同大学の通信教育課程を卒業したのです。

そんな松田聖子さんは3月24日に同大学の卒業式に出席し法学士の学位を授与されたと言い、スポーツ報知にもコメントを寄せています。

松田聖子
松田聖子
この度、中央大学法学部通信教育課程を卒業することができたことを、大変幸せに思います。中央大学で法律を学ぶことができた4年間は、私にとって素晴らしい時間でした。あたたかくご指導いただきました先生方、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。

https://twitter.com/seionvo/status/1772021653909749794

悲しみを乗り越え、現在も第一線で活躍

こうして2024年3月に大学の通信教育課程を卒業した松田聖子さんですが、2021年12月に愛娘である神田沙也加さんが急逝した際は、ディナーショーや紅白歌合戦への出場など、全ての芸能活動を休止していたのです。

それでも四十九日法要を済ませた後から徐々に芸能活動を再開し、コンサートツアーなどに励んだ松田聖子さんは、2023年11月には自身が初監督を務めた『The Day Wind Blew~あの風が吹いた日~』が上映され、上映終了後のトークショーにも登壇しています。

さらに今年2024年2月に2年4カ月ぶりとなるニューアルバム『SEIKO JAZZ 3』をリリースした松田聖子さんは、オリコン1位を獲得するなどチャートを席巻し、その変わらない人気を不動のものとしたのです。

そんな松田聖子さんは活動再開後は、コンサートツアーやCDのリリースはしていきましたが、一貫してメディアの前に出ることはずっと避けてきたのです。

しかし2024年3月9日放送のMUSIC FAIRに4年ぶりに出演した松田聖子さんは、世界最高峰のベーシストであるネイザン・イーストと『赤いスイートピー English Jazz Ver.』やエリック・クラプトンの『Tears In Heaven』を美声で披露し、多くの反響を呼んでいます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、松田聖子さんの大学卒業の話題など近況について、プロフィールや経歴と併せてご紹介しました。

デビュー程なくしてトップアイドルに君臨し、その後はその抜群の歌唱力と創造力でシンガーソングライターとして活躍した松田聖子さんは、現在は愛娘・沙也加さんの急逝を乗り越えて歌手として精力的に活動し、2024年3月には法政大学教育課程を卒業しています。

そんな松田聖子さんの今後の活躍も温かく見守っていきましょう。