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中森明菜はレコード大賞で2年連続大賞!歌姫の波乱万丈な経歴とは?

日本作曲家協会主催のTBSが放送する年末の音楽賞イベントレコード大賞で、2度の大賞に輝いた中森明菜さんは80年代を代表するアイドル歌手です。 

NHK紅白歌合戦には8回出場し、「少女A」や「禁区」などヒット曲は多く21曲がオリコン1位に輝きコンスタントな売上を上げています。

近年は表舞台に立っておらず、もう一度見たいと願うファンもいるのではないでしょうか?

今回はそんな中森明菜さんのプロフィールや経歴を紹介しましょう。

レコード大賞を2度獲得!中森明菜のプロフィール

  • 名前:中森明菜(なかもりあきな)
  • 生年月日:1965年7月13日
  • 星座:蟹座 
  • 年齢:58歳(2023年12月時点)
  • 血液型:A型
  • 出身地:東京都
  • 学歴:清瀬市立清瀬中学校卒業→大東学園高等学校入学→明治大学附属中野高等学校定時制に編入・休学・中退
  • デビュー当時のキャッチフレーズ:ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)

母の影響を受け、歌手を目指すようになります。

中森明菜さんは、「スター誕生!」に受かる前に2回落ちているそうです。 

2回目の挑戦では審査員から「歌は上手だが顔が子供っぽいため童謡を歌った方がいいのでは」と嫌味を言われ、「スター誕生では童謡は受け付けてくれないんじゃないですか」と静かな口調で答えました。

また、テレビ出演に行く前の予選会でも4回ぐらい落選したといいます。 

しかし見事に合格し、1982年にデビュー。 

同期には早見優さんや堀ちえみさん、小泉今日子さんがおり、花の82年組といわれています。 

新人賞で小泉今日子さんに卵がぶつけられたときに、中森明菜さんが舞台の袖に連れて行ったそうです。

突っ張った「少女A」のような曲とバラード調の「スローモーション」のような楽曲を発売しましたが、本人は後者のほうが好きと話していたことがあります。

衣装の多くは自身のアイディアで、ファッションリーダーとして当時のファンを魅了していました。 

中森明菜さんの振り付けのしなやかさは、クラシックバレエ経験が生きているのかもしれません。

将来2人で住む家の資金として7600万円ものお金を当時付き合っていた近藤真彦さんに渡しましたがマネージャーが持ち逃げしたり、松田聖子さんとの熱愛疑惑が出たりと心身ボロボロになった中森明菜さんは自ら命を絶とうとしたこともあったといいます。

後に婚約発表と思われるような金屏風の前で、 謝罪会見をしました。

レコード大賞を2度受賞!中森明菜の経歴一覧

  • 1981年:オーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系) で合格
  • 1982年:シングル「スローモーション」でデビューし、ラジオ番組「決定!全日本歌謡選抜」へゲスト出演
  • 1982年:第15回全日本有線放送大賞(上半期)で新人賞へ
  • 1983年:「禁区」が第25回日本レコード大賞ゴールデンアイドル賞・第10回横浜音楽祭の横浜音楽祭賞に決定
  • 1984年10月10日:アルバム「POSSIBILITY(ポシビリティ)」(キャッチコピー:明菜の中に無限の宇宙を見た。)
  • 1984年12月31日:第26回日本レコード大賞最優秀スター賞・金賞に「北ウィング」が入る
  • 1985年: 第18回日本有線放送大賞(上半期)で読売テレビ最優秀賞・第27回日本レコード大賞で大賞に「ミ・アモーレ」が輝く
  • 1986年:「DESIRE(デザイアー)-情熱-」が第28回日本レコード大賞女性初2年連続大賞の快挙・第12回日本テレビ音楽祭でグランプリと優秀賞・ 第19回日本有線大賞で最多リクエスト歌手賞と有線音楽賞・第1回日本ゴールドディスク大賞のThe Best Single of the Year賞(邦楽)に
  • 1987年:「難破船」が第29回日本レコード大賞で特別大衆賞と金賞・第18回日本歌謡大賞の最優秀放送音楽賞・第16回FNS歌謡祭で最優秀歌唱賞と優秀歌謡音楽賞・第17回銀座音楽賞の歌謡ポップス部門金賞に輝く
  • 1988年12月31日:「TATOO」は第30回日本レコード大賞の金賞へ
  • 1989年:第22回日本レコードセールス大賞でシルバー賞(LP部門)獲得
  • 1998年:開催予定だったマレーシアファンクラブツアーの中止
  • 1999年:主演ドラマ 「ボーダー犯罪心理捜査ファイル」が骨折とインフルエンザにより打ち切りに
  • 2007年12月30日:第49回日本レコード大賞で「艶華-Enka-」が企画賞を受賞
  • 2010年:体調不良を理由に無期限休止
  • 2012年:デビュー30周年を記念しベストアルバムをリリース
  • 2014年:NHK紅白歌合戦にニューヨークからの生中継で出場し復活
  • 2017年:体調不良で活動休止
  • 2022年:X(旧Twitter)開始・個人事務所設立・中森明菜ファンクラブ発足
  • 2022年7月1日~: ワーナー時代の全アルバムとミニアルバムの全23作品が発売順にリリース
  • 2022年7月9日:「中森明菜スペシャル・ライブ1989リマスター版」(NHK総合)が放送
  • 2023年11月:「北ウィング」のセルフカバーを発表
  • 2023年12月17日:ラジオ特番「中森明菜オールタイムリクエスト」(ニッポン放送)へ肉声メッセージを寄せる

第26回日本レコード大賞の選考委員による投票で五木ひろしさんに負けましたが、絶大な人気を誇る中森明菜さんの存在を無視はできず急遽最優秀スター賞(準大賞) を設けたといいます。

第27回日本レコード大賞では、ピンクレディーの第20回レコ大「UFO」以来久しぶりのアイドル歌手による大賞受賞でした。 

花束を持って登場した母親を見て、号泣しながら熱唱。

この年から会場を日本武道館に移しており、レコード大賞はさらなる盛り上がりを見せています。

https://youtu.be/wQssFuy3mgs?feature=shared

また1985年から中森明菜さんは、それまでのアイドルからアーティスト路線へ変えました。 

制作陣を一新し活動を続けます。 

レコード大賞を取るためには歌手の人気や実力より、事務所やレコード会社の力が必要とされていました。 

その面では中森明菜さんは不利だったといいますが、レコード大賞の権威を保つためにもという空気が審査員や業界の中で流れていたそうです。 

当時交際が噂されていた近藤真彦さん(マッチ)との賞争いにも注目が集まり、第27回日本レコード大賞の視聴率は31.4%でした。

第28回受賞曲「DESIRE-情熱-」歌唱中のおかっぱ頭と着物衣装は、中森明菜さんが自己プロデュースしたそうです。 

レコード大賞が決まり号泣しながら歌う映像は、 人々の心に印象付きました。

3連覇は叶わず結果第29回大会はマッチの「愚か者」に負けてしまいましたが、中森明菜さんの「難破船」もあらゆる賞を獲得し高評価を得ています。

1970~80年代はメディアも世間も大賞を予想し盛り上がっていましたが、近年レコード大賞は実際の売上やランキングと矛盾する、審査基準がおかしい、やらせではないかとも囁かれてきました。

中森明菜さん自身も新人賞は事務所の力が強いところがとると、話していたことがあります。